傍に傍ら -05

「ずいぶん田舎というか、人もいなさそうな感じですけど、ここに美味しいコーヒーがあるんですか?」

「そういうことになりますね。ここからちょっと歩くので、ついてきてください」

 

 ちょっとだけ不安になるものの、こんなところまでわざわざ来た以上、ついていくという選択肢しか僕にはなかった。

 この先はそもそも車が通れないようで、もはや軽い登山のような山道を登っていく。こんな隠れたところに知る人ぞ知るお店があって、そこで取り扱っている豆が格別においしいのでは、などと考えているうちに少し開けた道に出て、そこに階段がみえた。

「あの階段を上った先がゴールです」

「……なかなか急な階段ですね」

「頑張ってくださいね。あと、上ってる最中は振り返っちゃだめですよ? 足がすくんじゃいますから」

 いざ上り始めると、やはり結構急で先が見えない。これは確かに振り返ったら怖いことになりそうだと思いながら、目の前に集中して上っていく。

 軽く息切れしながら階段を上りきると、そこは広場のような感じになっていた。

「着きましたよ。さあ、こちらへ」

 あまり息の上がっていない様子の玉宮さんに導かれるように、広場の一角へ進んでいく。

「こんなところにお店が……って、これは……」

 進んだ先、目の前の光景に、僕は驚きに言葉を失った。

 そこにあったのは店でも何でもない。

 代わりにあったのは美しい夜景だった。

「ここ、見晴台じゃないですか」

 連れられた先にあったのは辺り一面を見渡せる展望台で、眼下の平野に広がる夜景は絶景そのものだった。

「私のお気に入りの場所です。こんなに景色がいいのに、この近くに夜景でとても有名な場所があるせいか、こちらは滅多に人がいないんです」

 確かに言われてみればこの場所から北の方に全国的にも知る人が多い夜景スポットがあった。そこよりは低い位置にはあるものの、これだけの光景をひとり占めできるのは穴場だと思う。

だけど、肝心なものが見当たらない。

「すごくいい場所ですけど、ここに世界一美味しいコーヒーがあるんですか?」

「ええ、まあ。そしてこれが、そのコーヒーです」

 そう言って手渡されたものに、またしても僕は驚かされる。

「これ……缶コーヒーですよね?」

 渡されたのは、何の変哲もない缶コーヒーだった。

「あ、なにかの限定品とか、そういうやつですか?」

「いいえ。コンビニで買った、普通の缶コーヒーですよ」

「それじゃあ――」

「私、元々とても人見知りで引っ込み思案だったんです」

 僕の動揺を遮るように、玉宮さんは話し始める。

「人前に出ることはおろか話すことも苦手で、唯一の友達のようなものだった小説を父の店で読むのが日常でした。ご近所の奥様方やおじいちゃんが通うその店に、ある時珍しく高校生のお客さんが来たんです。その人は父の豆が気に入ったのかよく通うようになって、父と色々な話をするようになりました。その時はああやって人とすぐ打ち解けられるのは羨ましいなあくらいに思っていたのですが、その人は小説家を目指しているようで、賞に応募しようとしてるとか、ものすごく楽しそうに父と話しているのが耳に入ってきて。そんな会話の中でその人が言った言葉に衝撃を受けたんです。『人はみんな誰かの何かになれると思うんです。僕の書いた小説が人の役に立つとか、そんなはっきりとしたことを言える自信はないけど、何かにはなれるはず』って。自信が持てなくて人と話すのも苦手で、できることなんて何もないと思っていた私は、その言葉に救われた気がしたんです」

「ちょっと待ってください。その話って――」

 玉宮さんの話に思わず声を上げてしまう。現実的じゃなさ過ぎて心臓が高鳴っているが、続く彼女の言葉に、その予感が的外れじゃないと悟ってしまう。

「その様子だと、私の父の焙煎所がどこか、本当に気づいてなかったんですね」

 少し困り気味に微笑む玉宮さん。そうだ、彼女の名前、なぜ気づかなかったんだ。

「玉宮焙煎店……」

「そのとおりです。次月さんが通っている玉宮焙煎店は私の父の店で、私が今自分の店を持てるようになったのは、あなたの言葉のおかげです」

 玉宮焙煎店。コーヒーにはまって色々な店で豆を買いあさっていたころに見つけて、あまりの美味しさに通うことを決めたお店だった。そこは注文してその場で生豆を焙煎してくれるお店で、その間にサービスとしてコーヒーを出してくれるから、オーナー(玉宮さんのお父さんだったらしい)とはよく話をしていた。でも。

「でも、僕、玉宮さんを見かけたことなんて一度もないですよ」

「言ったじゃないですか。人見知りで引っ込み思案だったって。当時は髪型も全然違いましたし、人目に付くのを避けていたので気づかなくて当然です。そんな私が、そんな私でも誰かの何かになれるのかなって思って、ぼんやりと夢見てたカフェを絶対やるって決めて、人見知りも徐々に克服してここまでこれたのは、次月さんのおかげなんです」

 

はっきりと言われてようやく、これまでの玉宮さんとの会話で感じていた小さな違和感は、彼女だけが最初から僕のことを知っていたからだということに気づいた。

「……出会った時から思っていたんですけど、玉宮さんっていじわるですよね。それを伝えたくて、世界一のコーヒーなんて嘘で僕を誘い出すなんて」

「仕方ないじゃないですか。次月さんから玉宮焙煎店の名前が出ればお話ししようかなと思っていたのに、全然気づいてくれないんですから。……それに、世界一のコーヒーはまるっきり嘘ってわけじゃないですよ」

 少し頬を膨らませながら玉宮さんは夜景の方を見ると、缶コーヒーを一口飲んで呟くように言った。

「今こうやってあなたと飲む缶コーヒーが、私にとって世界で一番美味しいコーヒーなんですから」

「……やっぱりいじわるじゃないですか。そんなことを言われたら、世界一美味しくなっちゃいます」

 助けてもらった。そう思っていたのに、自分でも気づかないうちに僕も彼女を助けていた。

『人はみんな誰かの何かになれる』

自分で言ったことのはずなのに、言われるまで自分はその言葉を忘れていた。それでも、僕は当時の彼女にとっての何かになれていたのだ。だから、なんのために小説を書いているかなんて、今の僕には考える必要のないことだった。だから。

「仕返しというわけじゃないですが、新しいお話を書きます。玉宮さんの(そば)で、これまでのこと、これからのことを物語にして。だから、書き終えるまで、(かたわ)らで見届けてくれますか?」

 

書きたいことを書く。そうすれば誰かの何かになれるはず。結果なんてそのあとなのだ。

 そんな決意の言葉を聞いた玉宮さんはそっとこちらを見つめると、彼女の店名の代名詞にふさわしくはにかんだ。

「……はい。よろしくお願いしますね」

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