傍に傍ら -03

 それからというもの、少なくとも週に一回はハニカム(正式名称はハニーカームだが、玉宮さんも普段はハニカム呼びなので僕もハニカムと呼んでいる)に行くようになった僕が常連として馴染んでいくのに、さほど時間はかからなかった。玉宮さんはお客さんとの距離の取り方が絶妙で、適度に話しつつ、静かにゆっくり過ごせるような配慮も行き届いていた。

 

 それは僕に対しても例外ではなく、お客さんが自分しかいない時こそ色々な話をするものの、周りにお客さんがいたり、自分が大学の課題なんかで作業をしたりしているときは適度な距離を保ってくれていた。

「あの、今何されてるんですか?」

 だからある日、作業中に不意に話しかけられたから、体がはねるほど驚いてしまった。

「あ、ごめんなさい。最近パソコンで熱心に作業されてたようなので気になってしまって。失礼でしたね」

「いえいえ、ちょっと集中してたのでびっくりしちゃっただけです。……実は、小説を書いていて」

「小説を書くなんてすごいですね。どんなお話なんですか?」

 

 ここのところ僕はハニカムに来るたびにノートパソコンを開き、執筆をしていた。小さいころから小説を読むのが好きで、高校生になってから自分でも小説を書きたいと、これまでにいくつもの物語を書いてきた。だが、大学生になってからというもの。

「それが、最近全然ダメなんです。高校生の頃は湧いて出てくるように色々書けたんですけど、スランプですね」

「スランプですか……。アイデアが浮かんでこなくなったとか?」

「いえ、アイデアは結構浮かんだりするんですけど、いざ文章にしたときにこれじゃダメなんじゃないかって思うようになっちゃって」

 スランプとは言ってみたものの、自分の中で原因はなんとなくわかっている。小説を書き始めた時は純粋に物語を書きたくて、他ならぬ自分のために、思うままに書いていた。いくつかの物語を書いているうちに、誰かに読んでもらいたくなって、新人賞に片端から応募するようになったのがきっかけだろう。もともとあわよくばという気持ちで応募していたから、選考に落ちること自体はそれほど落ち込むことはなかった。最初の頃はむしろ入選したい一心で頭をひねり、流行を追い、どうすれば選ばれるのだろうかと考えるのが楽しいくらいだった。だけど、それなりの数に応募してそのことごとくが落選するにつれ、いつしかアイデアが浮かんでも「これでは審査員のお眼鏡にはかなわないだろう」なんて冷静に決めつけてしまうようになって、今では何のために小説を書いているのかわからなくなってしまうことが多々ある。

「好きで書いてるんだから、好きにやればいいってわかるんですけどね。スランプになった人って、答えは出てるのに抜け出せないのが何より苦しいんだなって、身をもって体感してます」

 そのほとんどが自分に言い聞かせているんだと自覚しながらも、誰かに話すことで気がまぎれるような気がして、半ば一方的に話し続ける僕の言葉を、玉宮さんは黙って聞いてくれていた。

 話を聞いているうち、次第に何か考えるそぶりを始めていた玉宮さんは、突然「ちょっと待っていてください」と言ってカウンターの方に行くと、おもむろにコーヒーを淹れ始める。急にどうしたのだろうと思っているうちに、そのコーヒーは何故か僕の目の前に置かれた。

「あの、どうしたんですか、これ」

 戸惑う僕に、柔らかく微笑みながら玉宮さんは答える。

「これは私が即興で作ったブレンドです。そしてこれから次月さんが来店したときは毎回、私がその日の気分や感じたことをイメージして即興のブレンドをサービスとして提供します。ただし」

「ただし?」

「代金の代わりに、言葉をください。詩でも、小さな物語でもいいです。ブレンドの味から感じたことを、次月さんなりの言葉にして私に読ませてください」

「感じたことを、言葉にですか……」

「余計なお世話だったらごめんなさい。私の無茶振りに応える。理由を自分から他人に置き換えてみるのも、そういう時にはいいんじゃないかと思うんです。私も自分だけで悩んで抱えていた時、外からの何気ない言葉で抜け出せたことがありますから」

「気を使っていただいてありがとうございます。そうですね、どうせ今のままじゃ何も完成させられる気がしないので、その提案、のらせていただきます」

 そうしてひょんなことから、玉宮さんはコーヒー、僕は文章という表現で対話を重ねることになった。

――フルーティで明るいブレンドですね。パンジーやデイジーのような可愛らしい花畑で、子供が蝶を見つけてはしゃいでいるような。昼下がりに、ケーキと一緒に飲みたくなります。

――華やかな感じですけど、前回と違って落ち着いたバラのような感じです。植物園の秘密の空間で誰かが本を読んでいるような、神秘的で奥深い光景が浮かびました。雨の日の喫茶店で本を読みながら、じっくり味わいたいです。

――ダンディなバーテンダーさんのお気に入りって感じです。香ばしくてコクがあって余韻も長い。バーテンダーさんがやっぱこれだよって自慢気に飲んでいるような、大人びた印象です。

――柑橘系の香りで苦みもキレがあって凛としています。執事さんのお気に入りって感じもしますけど、めちゃくちゃ優秀な女性秘書さんが仕事に集中するために飲んでいそうですね。

 そんなやりとりは、少し風が涼しくなってくるまで続いた。

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